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レース体験記:レイド・タイ挑戦記
挑戦者: 田中 友佳子
レース: 第13回 レイド・タイ
レース開催日: 2005年11月17日〜21日の5日間
開催場所: タイ北部 チェンマイ周辺の山々
開催種目: ラン、ウォーク、MTB(私はランにエントリー)
マラソン走行距離: 5ステージ合計124km
マラソン総合1位: Gutierrez Amaud(フランス)9時間15分52秒
マラソン女子1位: Engles Muriel(フランス)12時間8分12秒
田中 友佳子 結果
総合タイム: 12時間15分49秒
順位: 総合15位/39人(女性:2位/7人)

レイド・タイ象とランナー

・ え、日本人参加者って私ひとりだけ?

レイド・タイはサハラマラソン等と違って、観光等いろいろなオプションがついていてレース以外の楽しみが満載である。日本からは他にどんな方が一緒に参加されるんだろう?なんて考えていたら、参加者は私1人だけだった。
ありがたいことに「国境なきランナーズ」スタッフの松永さんが、たった1人の参加者のために同行してくださったが、実は小心者で語学はほぼジェスチャーのみ、カワイコぶるのもそろそろ無理、という私はもし1人だったら右往左往していたことだろう。
そんな訳で、2005年11月15日、ちょっと寂しい成田からの出発になってしまったが、バンコクでフランス・カナダ(2人)・ドイツ(1人)からの参加者と合流。そのままチェンマイまではお酒も入って楽しい夜行列車の旅となった。
チェンマイ到着は翌16日早朝。レースは翌日の17日から21日の5日間。前半3泊はテント泊、後半はホテル泊だ。

・ レースを明日にひかえ

明日からレース本番という16日夜。満月のこの夜はタイでは日本のお盆に当たる日だったらしく、村の行事に参加した。精霊流しのようなことをしたり"たいまつバルーン"のようなものを飛ばしたりする幻想的な行事だった。暗い山中では満月の明かるさが際立つ。就寝前、そんな満月を肴に松永さん持参の焼酎をいただきながらミーティング。明日からのレースに非常なプレッシャーをかけられる。今回ランナーの女性はたったの7人。表彰台にとても上がりやすい状況である。けれど、白状すると実は私、トレイルのレースに限っては人との比較で順位やタイムを気にして走ったことが1度もない。そもそも、実力もないし日本のレースだったら表彰台なんて雲の上である。今回もそのノリで、思いっきり周囲の景色を楽しみながらのんびり走ろう等とつらつら考えていたものだから、このいきなりのプレッシャーに少々たじろいだ。たじろいだものの、のせられやすい性格のため"そうか7人だけか。それならいけるかな?"と単純に考え、「じゃあ、3位以内に入ります」と口走ってしまった。

・ レース開始

翌日朝からレーススタート。レイド・タイはVTT(MTB)のレースもあるためライダー姿の人もいる。なんだかVTTはかっこいいな、なんて見とれてたら、松永さんにコソッと「昨日の話、覚えているよね」と再度プレッシャーをかけられた。そこで女子のランナーをチェック。体格が良くて強そうな人ばかり。まあ、思いっきり走るのみだ。
いよいよスタート!前半約10km上りが続く。上りの時点では良いペースで走っていたが、下りで次々と抜かされる。しかも、暑さに体が慣れていないのか、後半貧血ぎみになって吐き気をもよおし、気温も湿度も非常に高いというのに全身に鳥肌をたてながら走った。手足の先も異様に冷たい。松永さんがバイクの後ろに乗って応援の声をかけて下さるが、最後は朦朧として声も返せない程だった。不思議なことに体は機械的に動いてくれたため、第1日目はなんとか女子2位で終了。

前から薄々感じていたが、今回のレイド・タイではっきりと判明したことは、「私は下りに弱い」ということ。第2日目からは初日女子トップだった人と激しい争いを展開して行くのだが、どうしても下りで抜かれる。その代わり、上りは多少いけるので上りで抜き返す。第2日目はゴール前が上りだったため、抜かれないままトップでゴールできた。第3・4日目はゴールの手前が下りだったため、そこで抜かされて両日共に2位で終了。実に分かりやすい。

ところで、5日間も山ばかり走って飽きないのか?と思う方もいらっしゃるかもしれないが、それぞれに異なった景色が堪能できて飽きることがない。例えば、3日目はナイトレースだった。「ナイト」と言っても、正確には早朝レースである。まだ真っ暗な朝5時30分にヘッドライトを装着してスタート。いきなりの下りではみんなビュンビュン飛ばすので非常に怖かったが、そのうち夜が明けてくる。タイの山中で走りながら夜明けを迎えるなんてそうそうないことである。ちょうど夜明けの頃に一面に広がるライスフィールドの横を通過した。金色のその風景は、朝靄の中で輝いていた。また、4日目にはゾウさんとすれ違いながら走った。走っていると、いきなり巨体が悠々と歩いているのに遭遇する。でっかいウ○チにも遭遇する。ぼやぼやしていると危険である。その他、村を通過したり、川を渡ったり色々だ。

田中友佳子選手「児童に国境なきランナーズから本と文房具をプレゼント」先生に贈呈

また、先に少し触れた通り、レースは午前中で終わるので午後は観光ができる。ゾウさんに乗ったり、筏で川下りをしたり、寺院を見学したりした。また、キャンプ地が小学校の校庭だったりして、子供達による伝統的な踊りも見ることができた。参加各国で子どもたちにプレゼントを用意し、私たちからはTシャツや文房具を贈呈してきた。村の方々や各選手との交流は校庭で燃やしたたき火のようにとても暖かいものだった。
そんな毎日なので、日を追うごとに他の選手やスタッフの方との交流も深まって行く。今回、個人としての参加とは別にチーム参加というのがあって、私はフランス人の男性2人とチームを組んだ。仲良くなって、テントで焼酎を共に飲んだりした。また、同じペースの人は毎日抜きつ抜かれつを繰返しているので、すっかり顔なじみになり、自分のペースの目安にもなる。

4日目終わった時点でトップとの差は約11分。そして最終日のコースは3分の2以上が上り。しかも上りのままフィニッシュだ。ここは踏ん張ってなんとか最後に錦を飾ろうと、心の奥底に闘志をフツフツとさせてスタートした。スタート直後、なんと3位に着けていた女性が飛び出した。7km地点まで続く上りだが、ここで離れられないと必死に追う。初めっから飛ばし過ぎである。だが、今日でレースも終わりだ。明日は野となれ山となれ、したことない無理でもしてみよう、の心意気である。なかなか差が縮まらず焦りながらも、おそらく5km地点あたりでやっと抜かすことが出来た。総合トップの女性はまだ後ろにいる。しかし、その後の下りでアッという間に抜かされてしまった。やっぱりあの人速いなあ、等と猛烈に走りながら妙なほど悠長に考える。いよいよフィニッシュまで続く12km弱の上りに差しかかると、最後の踏ん張りで、私にしては速いペースで走って行く。走りやすい道なのだが、上りは上り、しばらくするとたまに歩きが混ざるようになってしまった。そんなとき、フランス人の選手が、「僕の後ろについておいで」と私を先導しはじめてくれた。彼のおかげでペースが戻る。彼は「You can win!」と私を励ましながら、走ってくれる。そのうちトップの女性の姿を捕らえ、そのまま抜かすことが出来た。その彼はそのまままずっとゴールまで私を励まし続けてくれた。しかも私たちが先を行くマッチョなフランス人選手に追い付くと、その彼も加わって一緒に走ってくれた。先に一緒に走ってくれていた選手は、私が力尽きそうになると「急げ!急げ!君は勝てる!」とハッパをかけ、マッチョな選手は「ゆっくり、ゆっくり深呼吸して」とリラックスされてくれる。言ってることは正反対なのだが、非常にありがたく、彼等のおかげで最終日に女性トップで帰って来れた瞬間には、まっ先に抱き着いてお礼を言った。

・ レースを終えて

はじめて順位を意識して臨んだレースであったが、こんなのも面白いなあとも思った。私は、決して全く本当に速いランナーではないのだが、日本からの応援メールや、スタッフや選手の方々が「ユカ!」と名前を呼んで暖かく応援してくれたおかげで、なんとか最後まで気持ちを切らさずに走り切ることが出来た。タイの自然のすばらしさはもとより、5日間かけて走るからこそ感じられる人間同士のつながりや暖かさが、とてもすばらしい大会だった。ここに書ききれない程、毎日楽しいことが満載だった。また彼等に会いに行きたいなあ、と思っている。

田中友佳子
東京生まれ。
幼少年期を自然に恵まれた神奈川県津久井郡で過ごす。
中学、高校時代は美術部に在籍し、大学は武蔵野美術大学卒業と全くスポーツとは縁のない学生生活を送る。
2002年のサハラマラソン出場からランニングに目覚める。
現在絵本作家、イラストレーターとして活躍中。
著作絵本に『こんたのおつかい』(徳間書店)がある。
東京都在住。

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