挑戦者: |
井上 真悟 |
レース: |
第21回 サハラマラソン |
期間: |
(1)大会期間:2006年4月7日〜4月17日
(2)レース期間:2006年4月9日〜4月15日 |
記録: |
25時間03分06秒(計214km) |
開催種目: |
ラン、ウォーク(私はランにエントリー) |
総合順位: |
34位/731人中(内146名リタイヤ) |
・ 『何で走るの?』
わからないから走る
わかるまで走り続ける
・ きっかけはスパルタスロンと父の死
昨年10月、ある目標とするレースのために僕は有名な超長距離レース『ギリシャ・スパルタスロン』へと挑戦した。
が、結果は全工程の3/4たらずというところでタイムオーバーとなり失格。
帰国後、友人達は「よくがんばった」って言ってくれたけれど、達成感は微塵も無く 悔しさも沸かず、徒労感だけが残り 挑戦することへの意欲さえ失いかけていた ちょうどその頃、父が自宅のベランダで首を吊って自殺した。
両親の離婚後、この7年間で一度しか会うことのなかった父の死に僕は感慨めいたものを感じることは出来なかったけれど、最後に見た父の死に顔は空白の7年間の父の人生を十分に物語っていた。ちょうどその時期はサハラマラソンの募集締め切りがあと2週間というところまで迫っていた。
世界一過酷と言われるそのレースを無事に完走できる自信ももうなかったし、なにより今まで働いて貯めてきた預金を周りの親しい仲間達ですら「個人の道楽」としてしか認識していないことの為に使ってしまって本当にいいんだろうかという思いも少なからずあった。
けど、きっとあの頃の自分自身も死んだ父と同じような顔をしていたんだと思えてしまったから、そんな自分が許せなかったから、自分自身の人生にどれだけの価値があるのかを次のレースで確かめたかったんだ。
・ 箱根でのトレーニング
いざ挑戦すると決めたサハラマラソンの為に冬の厳寒期で走れなくなる蓼科高原を離れ、派遣社員としての次の職場として神奈川県・箱根へと移りトレーニングを行う。
練習は主に仕事の終わる夜9時頃から深夜にかけて、起伏の激しい恵まれたトレーニング環境を存分に生かしてのロングJOGを中心に取り組む。
夜の箱根では不気味なほどの静寂さと凍てつく冬の寒さの中 走ってる目の前を野生の猪さんにいきなり横切られるなどの出来事も多々あり心細くもあったけれど、街灯のない道をやさしく照らす月明かりや10km先で僕を待ってくれている
コンビニのおでんとマンガ雑誌に支えられ、そしてなにより箱根での新しい生活で出会った職場の方々やちょうどこの時期に始めたブログを通じて応援メッセージを送って頂いた方々に背中を押され、一人っきりで孤独と向き合い走り続けることが出来たんだと思う。
ある程度の練習内容や目標の月間走行距離などは決めていたものの計画性のある『トレーニング』と呼ぶには程遠く、頭の中に浮かんではこびりつく感情を塗りつぶしていくように頭がカラッポになるまで夜中まででも、明け方まででも3ヶ月間ひたすら走り続けた。
・ そしてサハラマラソン
どれほど頭の中でイメージを作ってみてもリアルに想像することのできなかった悠久の大砂漠がそこにはあった。
果てしなく続く大地
容赦なく照り返す直射日光
残酷なほど美しく舞う砂塵と
地平線をぼやけさせる蜃気楼
続出するリタイヤ者
死と隣合わせの過酷な目の前の現実の中ではネガティブな感情を留めておく余裕も無く、一日一日を生き残る為に、只々 全力で走り、休み、考え続けた。
きっとサハラへ挑んだ731人の中で、苦しくも辛くもなかった選手は一人もいないと思う。
だからこそ僕たちは最後の最後まで自分自身と向き合い、世代も言語も国籍も超えて共に闘うことが出来たんだと思う。
あのサハラだったからこそ
あの地獄だったからこそ
あの仲間達と共に過ごした、笑いあった時間を
僕はいつまでも大切に想えると思う。
サハラには僕の望んだものとはまったく違うもの
― けれどとても大切なものが置いてあった。
・ サハラを越えて変わったこと、変わらないこと
サハラで何より僕の心を深く捉えて離さなかったのは大自然でもない、無限に広がる満天の星空でもない、スタッフのきれいなお姉さんでもない、『人としての生きる強さ』だ。
過酷な環境のもと、脅威的な速さで砂漠を駆け抜けるトップランナーももちろんだけれど、
それ以上に僕に欠けがえのないものを与えてくれたのは仲間達のGOALする姿だった。
僕はタイムの速い選手だけが強いとは思わない。
どんなに歩みが遅くとも、自分自身のハンディキャップを受け入れ、乗り越え、最後の最後まで闘い抜いた方々の姿に僕はどれほどの感動を頂いたことか
きっと『死なない』ことは『生きる』ことではないと思う。
僕はサハラで出逢った仲間達のように
サハラでの自分自身のように
最後の最後まで"生きて"死にたいと思う。
そして、サハラを越えて変わったことは本気の勝負がしたくなったこと。
今回、僕はサハラではじめて世界各国の屈強な選手達の走りを目の当たりにして、
「いつかこの人たちと本気のレースがしたい!!」って心底思った。
理屈じゃない。
今はまだ、彼らから見れば足元にも及ばない存在でしかないだろうけれど、けどいつかあの先頭を駆け抜ける野生動物のようにしなやかな屈強なRunnerたちと闘い、そして勝つことが出来たらと想像したら、そう思うと前へ向かう衝動は抑えることができない。
次にあの仲間達と会うときまでには
次にあのサハラを訪れるときまでには
いまより強くなっていられるように
僕は胸を張って生きようと思う。
・ これからサハラマラソンへ挑戦される方々へ
今回、僕はスパルタスロン失敗後のレースということもあり、自分の経験不足をなによりも念頭に置いてサハラへと挑みました。
その上でなんとか自分の満足いく結果を残すことができたのは実質的に参考にさせていただいたこのHPのレポートやネット上の個人のHPにて貴重な体験談やサハラで得た情報や知恵を残していただいた過去のサハラマラソン完走者の方々、そして日本人選手を十数年間 サポートされてきたフリーマンさんからのコマメな情報提供やアドバイスのおかげでした。
サハラマラソンのような特殊な環境でのレースでは基礎体力や精神力以上にやっぱりどうしても経験と情報で差がついてしまうところがあると思います。そこで あまり参考になるかはわからないですが自分もHP上にサハラマラソンで感じたいろいろなことについてまとめたページを作っておくことにします。もし、なにかのお役に立つことがあればこれ幸いです。
また このレポートではあまり詳しくレースについては書きませんでしたがもし御興味があれば自身のブログに一日ごとのサハラレポートをアップしているので是非 見に来てください。
ではでは どこかのレースでいつかまた。
2006年5月6日
井上 真悟
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