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レース体験記:サハラマラソン挑戦記
挑戦者: 隅田 哲雄
レース: 第21回 サハラマラソン
期間: (1)大会期間:2006年4月7日〜4月17日
(2)レース期間:2006年4月9日〜4月15日

レース中の隅田哲雄氏

2006年4月9日ここは北アフリカモロッコのアイト・サダン村(AIT SAADANE)。
第21回サハラマラソンのスタート地点に立っている。またしても異国の大地に誘い込まれてしまった。

■ 昨年のレースを終えてから

大満足で終えた前回のサハラマラソン。参加後の日常生活には明らかに影響が出ていた。
例えばこんな具合である。

・ スーパーの食品売り場にて

“あっこれはサハラ用の食事になる!”いいと思ったものは購入して試食してみた。

・ スポーツショップにて

“このヘッドランプは明るくていいなあ!”
“この靴は砂が入りやすいからだめだっ!”

・ ジョギングしている人を見て

“この人の走り方はサハラにむいてないなあ!”
“うおっ、こいつはなかなかやるなあ!”
大きなお世話である

・ 道を歩いていて

“舗装路なんてサハラにはないんだ!”
練習に適した悪路を探すようになっていた。

すっかりサハラにはまっている私はこの病気を“サハラマラソン症候群”と命名した。

■ トレーニング

砂漠=砂浜を走ればなんて思うのは去年の私。悪くは無いがコースの大半はとがった石がごろごろしている瓦礫の荒野が占める。山道や河原を中心にトレーニングを行った。
足のマメ対策はいろいろ考えたが結局だめだった。今年のレース後、一個のマメも出来ていない外国人選手にいい方法を教えてもらった。次回参加することがあればトレーニングに取り入れよう。

■ パリにて

集合・解散となるパリから参加者の交流が始まる。ホテルでは初参加の方に装備や食事のことなどいろいろアドバイスを求められ、携行品を披露すると結構興味深く聞いていただけた。
スーパーマーケットで日本では売っていないソシソン(ソーセージ)・パスティス(酒)を買い足し装備は完璧となった。

■ モロッコへ

パリからはチャーター便。昨年に続いてまた遅れた。この国の飛行機は遅れるが当たり前なのである。
モロッコに着くとバスに揺られてスタート地点のアイト・サダン村へ。何時間もバスに揺られ、窓の外には代わり映えのしない景色が続く。無機質な景色だがわくわくしてくる。サハラを実感させられる。
最後はバスでは進めない。軍用トラックでBC(ベースキャンプ)へ移送されることになっている。

ボランティア精神が旺盛になり、他人を優先的に乗せていたら乗り遅れてしまった。結局スタッフの乗るジープで移送してもらった。これもいい経験。

■ レース前

モロッコ1日目

テントはあらかじめ主催者から割り当てられている。日本人の参加者15人と香港から来たKinちゃんの計16人に割り当てられたテントは二張り。レースが終わるまでの共同生活の始まりである。
楽しみにしていたのはモロッコの夜空。晴天の初日、いよいよ天体ショーの始まりである。
真夜中に外に出るとこれはすごい!星が空からあふれている。天の川は洪水。流れ星はびゅーびゅー。ことしの極め付けは隕石でした。一筋の光の帯がしばらく空に輝き続けるのを偶然発見し今年の初日満足度100%。今年もサハラは期待を裏切らなかった。

モロッコ2日目

レース前日。この日はメディカルチェックとテクニカルチェックがある。700人を越える参加者すべての審査には一日要してしまう。午後予定されていた時間帯になると急に激しい砂嵐に見舞われ、審査会場のテントが崩壊。危うく怪我をするところだった。厳重なはずの審査は今年もほぼフリーパスとなってしまった。

我々のテントも同じく崩壊。ベルベル人に修理してもらうがすぐ布が破れたり崩壊したり。嵐が激しすぎて目が開けられないんだ。とベルベル人も弱音を吐く始末。
乾燥した風と体が激しく摩擦してバチバチ静電気発生して痛かった。
走ってもないのになんだか疲れる一日となった

■ レース

4/9(日)レース1日目 STAGE1 28km
――― おやっ!暑いぞ ―――

日の出前は寒いぐらいなのに30分もすると早くも汗ばんでいる。
この日から自給自足の始まりである。朝食を終えると不得意なパッキングでレースに備える。手際の悪さは子供のころからであるが、パッキングは実に不得意である。やっとのこと詰め終わったと思ったら日焼け止めを塗ることを忘れていた。日差しの強さは日本とは比較にならないので怠るわけには行かない。仕方なくバックに詰め込んだ荷物出して、日焼け止めクリームを塗った。再度パッキングを終わったころには “へとへと”になっていた。このとき皮膚の摩擦防止にワセリンを塗るのを忘れていることに気づいた。ワセリンはバックの奥底に入っている。よし、あきらめよう!
スタートラインでは軽快な音楽が流され、主催者のパトリックの掛け声でみんな元気にスタートだ。私は最後尾からスタートし、ゲート下で
“サハラ〜今年もよろしく〜“
と挨拶し走り始めた。

CP1までは順調だったが少し暑さが気になっていた。CP2へ向かう途中で少し意識が薄らぐ感覚があったのでペースダウン。ひょっとしたら脱水症状の前兆か?こんなところで倒れるわけにはいかない。ソルトタブレット・梅干・水分などをこまめに補給しながら一歩一歩進んだ。
この後何とか盛り返すことが出来てゴール。ほっとした。
ワセリンを塗るはずだった腰は、やはり擦り剥けてしまった。明日は忘れないように注意しなければ・・・。
ゴール後はテントでゆっくり横になりたいところだったが、自分達のテントは砂嵐で崩壊しており、ベルベル人に修理してもらう。忌々しい砂嵐めっ!
初日の日本人参加者はかなり苦労していた。

・ 意識もうろうでゴールと同時に倒れメディカル直行した人。
・ レース中動けなくなり点滴5本打って何とかゴールした人。
・ ゴール後に痙攣を起こし脱水症状になった人。

まじかよ。
無難にゴールしたベテラン選手たちの口からも“今年は異常に暑いよね。とにかく水が足りないね。”の言葉が聞かれた。

4/10(月)レース2日目 STAGE2 35km
――― なんじゃこりゃ〜!ばたばた倒れるランナー ―――

初日の天候が厳しかったせいかレース前のガイダンスがやたら長かった。今日も昨日と同じ暑さが予想されるとのことで水分や塩分補給に対する注意が繰り返された。

前半から暑さが気になる。不本意ながら我慢して歩くことにした。
途中聞き覚えのある声で“走れ〜”
コース上で応援してくれているスタッフの松永さんだ。
“ここで走ると倒れますから!”応援はありがたいが・・・。(ひょっとしていじめかも。とマジに思ったりして)
途中らくだの骨がコース上に横たわっていた。なんだかいやな予感がする。
コース上にはばたばたランナーが倒れていた。休んでいるのか倒れているのかは”Good ?”と声をかけ”Good”と返事があれば大丈夫。返事がない人は大抵だめである。コース上で出会える医療チームに助けを要請する。

それにしても大勢倒れていました。
今日の昼食はCP3で食べることにしていた。メニューは一番のご馳走“五目ずし”である。紅しょうが・きざみ海苔をかけていると、怪しげな風が吹いてきた。いざ食べようとするとおまけの砂のふりかけ!。
この日を含め私が食事を取ろうとすると決まって砂嵐がやってきた。サハラの神よ、気まぐれな風よ、“私は砂のふりかけは好きじゃないんですけど。”
この日のレースはすべてのステージのうち一番遅いペースとなった。
こうなったらもっと他の楽しみ方をしなくては、と思いゴールが誰かと一緒にゲートをくぐることにした。(結局最終日まで続けた)。この日はフランス人と一緒に手をつないでゴール。こうすると不思議と気分が盛り上がる。
レース後、今回初となるマメが足に出来ていた。サハラではマメを放置しておくと化膿して大変なことになるのは経験済み。(去年のレポート見てください)。早速マメの部分の皮をすべて剥ぎ取り治療した。かなりの荒治療であるが短期間に治るのである。
この日は残念なことがあった。テント仲間の香港人のKinちゃんがタイムオーバーでリタイヤとなったのである。

4/11(火)レース3日目 STAGE3 38km
――― 井戸で水浴び ―――

モロッコの観光局に勤めるAliさんは、日本人スタッフのドライバーをしてくれており、昨年このレースで知り合った気さくな人だ。今年も毎朝日本人テントにやってきて応援してくれた。昨日までのリタイヤの数を尋ねると、これまでのレース史上の記録だとのこと。気温に加え湿度が高く(平年の3倍以上)さらに砂嵐が原因になっている。
予想では昨日までと同じ天気だから一段と注意が必要である。
今日もゆっくりスタート。
イギリスの大学に通う日本人学生と一緒に、彼の働いたことのあるパイナップル農園の話をしながら楽しく進んだ。果汁の滴り落ちるパイナップルを食べることを想像し話をしながら“食いて~”心のそこから二人で叫ぶがここは砂漠。むなしい。
CP1を過ぎてからは少し走ってみた。暑いのは同じだが水分や栄養補給のタイミングにペースが出来てきた。走り始めると案外走れるもので何とか乗り切れそうだ。これまで無に慣れてきたのだと思う、ペースを落とすことなく後半に・・・。
途中通過した村ですばらしいことがあった。井戸があったのだ。地元住民が水をかけてくれるのである。後で知ったが主催のAOIの援助で井戸や水道が設置された村だった。

こいつは救いだ!頭から水をかけてもらい生き返った。力がわいてきた。

私と同じ心境になっていると思われるルクセンブルク人とラスト5kmほど恐ろしいほど早いペースで併走し、そのまま一緒にゴールした。調子が良くなってきた。
困ったことに足のマメも順調に増殖している。メディカルで治療し明日に備える。
しかし昨日に続いて残念な事があった。一緒に完走を目指した日本人のうち2名がリタイヤしてしまったのである。レースの厳しさを思い知らされたのである。

4/12(水)レース4日目 STAGE4 72km→57km 
――― レース成立?コース変更・・・ ―――

いよいよレースの山場、最長距離のオーバーナイトステージである。
主催者から重大な通達があった。この日までのリタイヤ数過去多、蘇生の必要でフランスの大学病院まで運ばれた重症者まで出たとのこと。
今日のコースを短縮することや水分供給の制限緩和などについて説明があった。
ここまで過酷になるとは想定外だったのだろう。しかし即座にこれだけの規模のレースを軌道修正するのはたいしたものだ。
この日からスタート時の足の痛み(マメ)が気になってくる。スタート直後はまず痛みに慣れることから始まる。痛みのせいでなかなかペースが上げられない。それでも走り始めて1時間ぐらいで痛いという感覚が薄らいでくる。
この日の気温は少し楽だった。暑さが和らいできたのだ。CP1ではこのレースではじめて水に余裕があったので頭から水をかけ髪や顔を洗った。リフレッシュされよかったがサングラスをどこかに置き忘れてしまい、結局なくしてしまった。
このステージでは昨日までの上位の選手が2時間遅くスタートしてくる。ペースから考えると当然抜かれるので彼らの走りを見ることが出来るのである。
トップの人は私が2つ目のCPに着く前に追い越して行った。はやいっ!
私のペースだと大抵前後に人がいるので地図やコンパスが無くても進むことが出来るが、途中短い時間だったが砂嵐で前後の選手が見えなくなってしまった。このときばかりは地図とコンパスで進むべき方向を確認した。
CP3を過ぎてから少しペースアップすることにした。上位グループの人と併走しながらどんどん人を抜いていく。早く走るのもいいものだ。
CP4ではスタッフの松永さんとみさこさんが応援してくれていた。
私が走る姿を見てお二人さん“いやー目を疑ったよー”
”ちょっとちょっと日本語間違えていますよ。目を見張るものがある。とか、もっといい言葉があるでしょう!!(笑い)“
結局その後ずっとハイペースを維持できた。
最後CPを過ぎ辺りが暗くなってきたのでヘッドライトを点灯して走ることに。この日は満月だった。レース前に前田恵美子さんに教えてもらったことを思い出した。ヘッドライトの明かりは目の前はよく見えるが逆に全体が見えなくなってしまうとのこと。勇気を出してライトを消してみた。なんということだろう。このほうが良く見えるではないか。ここからはライト無しでゴールに向かった。
月の〜砂漠を〜はぁ〜る〜ばぁると〜♪を口ずさみながら・・・
ゴール前同じくライトを消したリビア人イギリス人と一緒にゴール。
後で聞いたのだがライトは後続の人の目印になるので点灯するようにスタッフが注意していたそうだ。それなら後ろ向きに点灯すれば自分にも他人にもいい!

走っている間は不思議とマメによる痛みは消えていたが、ゴールする同時に痛み再燃、足の裏は煮えたぎっていた。靴下はつぶれたマメから出た体液と砂が固まってごわごわとしている。恐る恐る靴下を脱いで見ると、昨日皮を切り取ったマメの中に新しいマメが出来ていた。隣のマメからは膿が出ていた。見たことも無い恐ろしい光景である。メディカルに行って化膿止めをもらった。
オーバーナイトステージ初日、日本人のうち6人が帰ってこなかったが、きっとビバークしているのだろう。いつ帰ってきてもすぐに寝られるようにテント内は広くスペースを確保し就寝した。

4/13(木)レース5日目 STAGE4 72→57km 
――― 休息日 ―――

朝少し明るくなってから同じテントの宍戸生司さんが外国人の付き添いをうけながら帰ってきた。道に迷っているときに落し物を探していた外国人に偶然発見されたらしい。ゴール付近ではあるがとんでもない方向に進んでいたらしい。危険な思いをした彼はいろんな思いがこみ上げてきたのだろう。涙があふれ声を出し泣いていた。私も涙が出てしまった。
残りの5人も午前中の早い時間にゴール。最大の山場は無事に終わりよかった。
この日の午後、恒例のコーラの配給があった。砂漠で飲むコーラは渇いたのどに最高の贈り物である。
砂漠で冷たいコーラを飲む方法。
缶の周りにトイレットペーパをぐるぐる巻きにしてから水で湿らせる。あっという間に水が蒸発し、発生する気化熱がコーラを冷やしてくれるのだ。私のコーラはみんなのより冷たいのは言うまでもなかった。
夕方BCに近い砂丘の上で何かゆっくりと動いている人がいた。近づいてみると夕陽を浴びてヨガをやっていた。かっこよすぎる。見ているだけなのにすごく癒された。感化されやすい私だったがヨガはやったことがないので座禅を組んだり寝そべったりして砂の感触・夕陽・風を満喫した。

夕食後お客さんがやってきた。
さそりである。テント内を駆けずりまわり我々を恐怖に落としいれ外へ出て行った。しばらく後を追いかけたが、実に足が速い。そのまま闇夜に消えていった。
寝ている間に襲われるとどうなるのだろう?

4/14(金)レース6日目 STAGE5 42.2km 
――― クラシックコンサートに遅れるな ―――

この日の夜はクラシックコンサートがある。楽しみだ。
スタート直後横を走る女性がこんなことを言って周囲を和ませてくれた。“さあ急がないとコンサートに遅れるわ!”彼女はクラシック大好きだそうだ。
マラソンステージで距離が長いが比較的涼しく走りやすかった。前半三日間の苦しさを考えると30度を超えているのに楽に走れているのは本当に不思議だ。残りの距離を考えるともっと走っていたいなんて思いながらこの日は一歩一歩サハラに足跡をつけていく思いだった。
この日は子供の写真の旗を掲げたフランス人と一緒にゴール。いろんな格好で走っている人がいるものだ。
日が暮れてからお待ちかねのコンサートが始まった。まさか砂漠でモーツアルトを聞けるなんて・・・。疲れ切った体に静かなエネルギーを与えてもらった。

4/15(土)レース7日目 STAGE6 11.8km 
――― 名残惜しいのは言うまでも無いが ―――

名残惜しいが一週間のレースもいよいよ最後。皆興奮気味。私ももちろんそうだった。とにかく全力を出きろう。
最終ステージの距離は短いが最後に美しい砂丘越えでフィニッシュとなる。砂をしっかり捕らえて砂漠を感じながら走ることが出来た。こんなにもすばらしいコースで走れて幸せである。
最後のゴールはカナダ人と一緒。完走メダルをかけてもらうとみんなべそ顔+笑顔で歓喜に満ち溢れた。

前半の暑さにどうなることかと思ったが、後半は一転楽な天候になる展開となった。ちなみにリタイヤの数は過去最高でほとんどが前半3日間に集中していたとのこと。
212kmもあるとても長い距離なのにスタートからゴールまであっという間の一週間だった。全てを言葉で表現しようというのは無理。今年も刺激的で最高のレースでした。
ゴールゲートからサハラに一言
“サハラ砂漠よ、ありがとう。”
叫ばせてもらった。

――― レースを終えて ―――

レースの翌日のワルザザードでは表彰式やパーティーが行われる。砂・汗まみれですごしていたレースを終えてたったの1日しかたっていないのに、こんなにもまったりとした時間の中にいられるこの不思議な感覚がたまらなく好きである。

暑さ、砂嵐、さそり、星空、隕石、・・・etc、サハラで出会った大自然に比べると人間なんてほんとにちっぽけだと思うが、ここでであった出来事を素直に感激できるのが人間のいいところかな。
今回走ったのはサハラ砂漠のほんの一部。これだけ感激してもまだまだたくさんの感激があるんだろうなぁ。と思うとまたワクワクしてきた。


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