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レース体験記:レイド・タイ挑戦記
挑戦者: 溝 登
レース: 第14回 レイド・タイ
レース期間; 2006年11月18日〜22日の5日間
開催場所: タイ北部 チェンマイ周辺の山々

レイド・タイ

・ はじめに

以前から、Raid Thai には関心があり、注目をしていた。
タイで行われる参加可能なイベントがあれば参加をしたいと思っていたので、サイクルスポーツの誌面でも、またWEBサイトでも注意をしていたところ
今年のRaid Thai を見るとレース部門とノンレースの募集があり、「よし!1度ノンレースで参加してみよう」と応募をした。
60歳を超えたライダーの参戦記です。

・ 出国そしてチェンマイへ

2006年11月16日

TG673便にて、バンコクに、TG102便に乗り換えてチェンマイへ
バンコクの新空港は初めてなので、少し心配をしていたが、私には以前のドムアン空港より乗り換えなども判かりやすいと思った。
乗り換えの時間待ちに空港内もいろいろと見たが、お店も美しく、また食事をするところも多く便利だと思えた。
  
ただ、国際便から国内便への通路は4Fから降りるエレベーター、エスカレータを、注意しないと違う所に出て戸惑うことがあります。
チェンマイには、事前のメールで、空港へRaid Thaiの関係者が迎えてくれる手筈になっていたが、出口でカードを持つ人たちの中には、それらしき人が見当たらず、しばらく待ってみたが、現れる気配もないので、一人でタクシーでホテルに向かった。
ホテルについて、チェックインをしようと、片言の英語とタイ語で Raid Thaiにエントリーしていると説明したが、オーガナイザーからのFAX用紙がないと判らないという、しかしそのような書類はもらっていない。
英語の解るフロントが1人なので、ちょっと困ったが、タイではよくあることなので、何とかなるだろうと、フロントで粘っていると、最後にはOK,OKと部屋を用意してくれた。
早速部屋に入り、自転車を組み立てて、ホテルの前の食堂で昼食を済ませ、自転車のテストのため、市内中心部に向かってテストラン。ギアも正常にチェンジができ一安心。
自転車で、ピン川沿いの道を走って市内にはいり、旧市街などを散策して、夕方、ホテルに帰り、シャワーを浴びて、ホテルの向かいにあるチャーンビアのビアガーデンでビールを飲みつつ夕食を済ました。
部屋に帰ると、昨晩は飛行機の中で、あまり寝ることが出来なかったせいか眠くなり、ベッドに入るといつの間にか寝入ってしまった。
眠り込んでいると、電話で起こされて、日本から来た松永さんと、合流できた。松永さんは、別の部屋に通されて私を待っていてくれたらしい。
フロントがまだ私が着いていないように言っていたので、彼はどこにも出かけずホテルで食事をして荷物も開けず、私の到着を待っていたが、あまり遅いのでフロントに掛け合ったところ、私に部屋を用意した人が気付いて、確認のため部屋に電話をしてきたのだった。
日本からの参加は2人だけなので、情報がフランス語、タイ語がメインなので、英語の話せる人を探しておかないと、状況が把握できない状態だった。

・ フランスから到着、合流、そしてテント村へ

11月17日

朝からフランスから来る人たちと合流のためホテルで待っていた。
松永さんの情報では、7時にチェンマイ駅に到着するので、9時くらいにはホテルに到着するのではないかと、ホテルの入り口で待っていたが、来ない。
同じように人待顔のフランス人がいたので、聞くとやはりRaid Thai のメンバーを待っている人でした。
彼の携帯電話に2時間半の遅れだと連絡があったとのことなので、仕方なくその場で待つことになったが、そのフランス人とも、お互いの英語能力の問題で会話が弾まず、日本語で松永さんと取り留めない話で時間を過ごした。
彼らの到着は、11時半くらいだっただろうか。当面不要な荷物はホテルに預け、自転車組は自転車の組み立てなどを済まし、ホテルで昼食、3時に出発予定。出発したのは3時半だった。
Raid Thai のチャーターしたソンティオ(タイの乗り合いバス)がテント村に到着したのは、薄暗くなりかけたころだった。
到着と同時に自分のテントを確保するのだが、先に到着していた松永さんが、テントを確保してくれていたので、荷物を運び入れる。

付近の見える明るい間に便所の場所を確認して、夜の用意をする。
テント村は山の中にある学校のグラウンドに用意されており、周囲に生徒が並んで座り我々を珍しそうに見ていた。

日が暮れて暗くなってから、中学生くらいと思う女の子たちの歓迎の踊りが始まり、その後、子供たちに持ってきたプレゼントのセレモニーと続いた。
そして、ようやく夕食になった。

松永さんの持参の焼酎を飲みながら、片言の英語で参加者と話し、片言のタイ語で子供たちと話したり写真を撮ったりした。
タイ語が少し分かるので、子供たちも喜び自分の名前を日本語とタイ文字で書いてあげたりして交流を深める。
彼らたちにとって、外国の人と接することは、めったにあることでは無いと思うので、彼らのノートに日本の文字を書いてあげた。
9時過ぎには寝袋に入り、就寝しようとしたが、地面が少し傾斜しており頭側が低くなっていたようなので、位置を変えて眠りにつく。

・ いよいよRaid Thai の始まり

11月18日

5時30分に起床。まだ暗いが、懐中電灯の明かりを頼りに便所へ向かうと、先客があり、少し待って済ます。
便所の数が少ない(多分2箇所しかなかったと思う)ので、済ませることは早目にしておいた。
洗顔も済ませ、荷物もまとめていると6時半ごろより明るくなり始めるが、周りの人の顔が判るのは7時近くになる。
6時半ごろから朝食だが、まだ薄暗くほとんどはテントの中に居たので、トーストなども焼きあがるのを待つことも無くゆっくりと食べられた。

7時半VTT(マウンテンバイク)はソンティオ(乗り合いバス)1台に人が1台に自転車と2台で出発。
VTTの出発地点に8時半ごろ到着して、記念撮影を済ませて、いよいよ出発。
目の前に見える山の頂上まで行って出発地点に引き返し、その後また違う山に登るが、ゴール地点はラン、ウオーキングともに同じところになっている。

初日、VTTは43Kmを走るが、ランは25Kmくらいと距離が違う設定で、だいたいゴール時間が同じくらいになるように設定されている。
毎日がそのように設定されているのでゴール近くではランの人ウオーキングの人と一緒になれるのが楽しい。
さて、6人しかVTTは居ないので、レースではなく一緒に走ろうとなったが、スタート後のいきなりの激坂で、後輪インナーのギアにうまく入らずチエーンが外れる。はめるが直ぐに外れてインナーが使えない。
何とか2段目でがんばるが、上りの連続で、足を休める暇が無く、途中で歩いて自転車をおしたり、少し坂が緩いところは乗ったりしていると、VTTのリーダーのディディエールが途中の村で待っていてくれた。
彼に、この地点で引き返して、スタートした所で待っていると伝えると、OKといってくれたので少し上ったところで写真を撮り休憩の後山を下った。
頂上まで後1.5Kmだがあまり無理をして、翌日からほかに迷惑をかけるようになってもいけないと思い3.5Km上った地点より引き返したのだ。
スタート地点でディレイラーの調整をするがうまくいかないまま、みんなが降りてきた。ドミニックは腕から血が出ていた、転倒したがたいしたことはなさそうであった。
ディディエールとピーターが自転車の調整をしてくれたが、インナーは使えるようになったが、中間のギアが外れて、安定しない。
でも、しばらくは下りが主なので何とかみんなの後ろから付いていった。
上りが始まる前に再度調整をしてくれたが、少しましかなと思うくらいでうまくいかない。
インナーが使えたら、まあいいかと、スタートしたがたちまちみんなから引き離されて一人で、何とかみんなの待ってくれている川の所の第1エイドステーションまで来た。
自転車を担いで川の中の土嚢や石を伝って渡るが疲れているのでバランスがよくない。
そこからまた山の上りが始まるが、目の前の坂を見ると、とても無理だと思い、そこに待ってくれたソンティオに乗せてもらい、ゴールに向かうことにした。
途中の第2エイドステーションでまたみんなと合流した。
ディディエールがこれから上りは「difficult but short」だというので、自転車を下ろし、写真を撮った後再スタートしたが、確かにきつい坂が続く、でもディディエールは短いと言っていたからと思い頑張るが、なかなか坂が終わらない。
自転車を押していくが、10m進んで一休み、7m進んで一休みで、この激坂はどこまで続くのかと思い自転車を押していると、最後尾から来て、マーカーを回収してるソンティオに追いつかれたので、上りも残すところ少ないと思いながらも、自転車ごと乗せてもらうことにした。
残り少ないどころか、乗せてもらったところからまだまだ上りが続く。
ディディエールの短い距離と、私の思う距離にずいぶん差がありそう。
ドミニックも押して歩いているところに追いついたが、彼はまだ車には乗らないでがんばると、手を横に振るが、何ほども行かない間に、彼もあきらめ車に乗る。
そのうち、坂がきつく車が動かず、いったん下がって勢いをつけて上がるようなところも出て来たりで、車に乗って正解だったと思った。
車の中で、片言の英語でドミニックと話していると、いつの間にかゴール地点に到着。
先にゴールしていた松永さんが、またテントを確保してくれていたので、荷物を運び入れて、少し遅い昼食をとる。
食後は着替えの用意をして、ジャージのまま水道水で体を洗い、ついでにジャージ、パンツも洗った。
他の人も、同じように体とウエアーの洗濯、周りは洗濯物だらけで、干す所の確保に苦労しているが、私は細いロープを持っていたので、木に渡して干すことができた。ロープは持っていくのが正解です。
これといってすることもなく木陰で足のマッサージを受けたり、近くの散策、参加者との雑談で過ごした。
夕食の前に、校舎裏の山へミニハイクに誘われたが、足をいたわってテントで待つことにした。
この時刻には、涼しくテントの中でも快適なので、うつらうつらとしているうちに少し寝入ったようで、松永さんの夕食の用意ができている声で、起こされた。
夕食後は、村の子どもの踊りと、持参のプレゼントの贈呈。
電灯が少なく、周りが暗いので星がよく見えた。8時半に寝袋に入る。
走行距離31Km(すべて走れば43Kmだが車に乗ったので)

・ VTTのみんなと別れてランの人と

11月19日

昨日のようなVTTのコースの連続は私には無理なので、ディディエールに今日からは松永さんと同じランのコースを走ることを申し出て、了解を得ていた。
暗いときに目が覚め、時計を見ると、4時だった。
時計に付属の温度計は、テント内で19℃を表示、入り口付近においてみると16℃を示した。
参加者とも、顔なじみになり、朝食のパンを食べながら雑談をしていると、鶏の鳴き声で起こされたことが話題になり、日本の鶏は「コケコッコウ」と鳴くが、フランスの鶏はなんと鳴くかと聞くと、「クコリコー」と鳴くといって、みんなで、「コケコッコウ」や「ククリコー」と大騒ぎ。
その場にいた、セネガルの人に聞くと、セネガルは鳴かないという。
不審に思っていると、鳴く鶏は、食べてしまうといって、また大笑いで、にぎやかな朝食の時間だった。
VTTは遠くからスタートするので、昨日と同じように2台のソンティオで先に出発し、また、ウオーキングの組もゴール近くに移動のためソンティオで出発したので、残るのはランの組だけ。
彼らより30分遅れで、ランはテント村からのスタートであった。
ランの最後尾よりゆっくりスタートして、走る人がばらけたころから少しスピードをあげて、松永さんを追い越し、車椅子チームも追い越した。
昨日と違って、途中で松永さんを待ったり、写真を撮ったりする余裕も出来た。

しかし、上り坂がきつくなってくると、車椅子チームにも、松永さんにも置いていかれ、気がつくと最後尾で自転車を押していた。
下りに入ると、松永さん、車椅子チームにも追いつき、追い越すがまた上りで追いつかれるので、少しアドバンテージを持っておこうと、先を急いだ。
下りの途中にエイドステーションがあり、聞くと後は下りばかりというので、
松永さんを待って、一緒にゴールをすることにした。
ランの松永さんと同じスピードなので、途中は写真を撮ったりしながらのゆっくりペースで走り、一緒にゴールした。
ゴールは学校になっており、グラウンドの周囲でゴールした人が、水浴び、洗濯、マッサージ、木陰で寝転んだりしていた。

洗濯物を干す場所の確保には苦労しているようだった。
昨日の洗濯物が乾かないうちに、移動しているので、2日分の洗濯物の干す場所が必要になっている。
サッカーのゴールネットが格好のもの干し場になり、干し場のない人は、芝生や、生垣の上に並べたりしていた。
私は、ここでも持参のロープが大活躍し、干し場の確保ができた。
この学校では、足の悪い生徒に、車椅子のプレゼントがあり、みんな一緒に昼食をとった。

昼食後、荷物をまとめて、ソンティオに分乗して別の宿泊場所になる学校に移動した。
テント村に到着後は、すぐに洗濯物を干すロープを張って、昼にした洗濯物を干す。
夜は気温が下がり、夜露で洗濯物が乾かないので、日のあるときしか干せないから、これがなかなか大変だった。
やはりここでも、子供たちの踊りがあるのか、民族衣装を着た女の子が待っており、男の子は周りで騒いでいる。
夕食までの時間は、子供たちといろいろタイ語で話しかけたり、竹で作ったボールを足でバレーボールのように蹴り上げる遊びをしたりして過ごした。
日が暮れて暗くなって踊りが始まり、プレゼントが終わりやっと夕食。
明日も、VTTの組でなくランの組と行動することをディディエールに伝えた、了解をもらった。

・ ナイトランといっても早朝ですが。

11月20日

暗がりの中でそれぞれの組に分かれてソンティオでスタート地点まで移動。懐中電灯をつけてのスタートしたのが5時ごろで、道の凹凸や、石などを注意して、ゆっくり走る。
ぼんやり周りが見えるようになると、いつものとおりきつい上り坂が待っている。
この坂がいつまで続くのかと思うほど、今までより上る距離が長いように思う。
車椅子チームにも追い越され、へとへとになって峠に、くだりでやっと車椅子チームを追い越し、コースの違うウオーキングの人たちともすれ違ったりして、また少し上ったところが村の中にある第一エイドステーションに到着。
VTTの仲間にも出会ったが、松永さんを待つことにして少し休む。
車椅子チームも到着して、何かトラブルの様子なので、聞くと、ブレーキのレバーに不具合が出て、うまくいかないらしい。
持っていた道具を貸してあげて、彼らは何とかブレーキが操作できるようにして、先に出発して行った。
松永さんも到着して、一緒にエイドステーションを出たが、暫くは村人が見ている村の中を走るので、手を振ったりして余裕ある顔つきをしたが、結構きつかった。
登り坂の前に少しでも先に行っておかないと、上りで又追い越されるからと少しスピードを上げて、車椅子チームよりも先に行くが、坂で歩き始めると、たちまちみんなに追い越されて、最後尾になった。

いつもながらの激坂が、何処まで続くか思う上りの連続、しかし、いつかは峠になると、1時間以上自転車を押し上げただろうか。
登り坂も終り、下り坂だがこれも又きついので、前転しないように、慎重にブレーキを操作するが、連続なので、下りでも楽ではなかった。
後で聞くと、VTTのドミニックは前転したらしい。危険を感じて降りる時が難しい、足を突くときに後輪の加重がなくなり前転するようで、自分も危うくしそうになった時もあった。
何とか、転倒することなく、松永さん、車椅子チーム達を追い越して、ゴール地点に到着すると、早くゴールした人達が拍手で迎えてくれた。
このゴール地点は、山の中の幼稚園か?小さな子ども達が教室で学んでいた。
豚小屋の横の水道で、お互い水を掛け合って体を洗い、そのあとジャージ、パンツを洗って周りの木にかけて置く。
グラウンドに敷かれた筵の上で、寝転んで休んでいるうちに、ぽつぽつとゴールする人や車椅子チーム、そのうちに松永さんも拍手に迎えられてゴールした。
最後の車椅子チームのゴールを待って、ソンティオに分乗してチェンマイの町へ。
ソンティオの後ろから、通り過ぎる町を見ていると、ハンドンの地名が見えた。
17日に車の中から見た町はメーリムだったので、この3日間でドイステープ山のチェンマイ市街の反対側を北から南に走ったのではないだろうか。
ようやく、ランナ・ビュウ・ホテルに到着し、シャワーをゆっくり浴びて、埃だらけのウエアー類の洗濯をバスタブの中でして、室内にロープを張って干した。
夜は、松永さんと、ナイトバザールに行って足マッサージ(120バーツ/h)を受けた。

・ 日本語が無理ならせめて英語でも

11月21日

昨晩に、英語を話す人に確認しておいたから良かったが、今日の予定は、ホテルに張り出してあるフランス語だけである。
必要なことは、朝食の時間と出発の時間がわかれば、後はみんなについていくだけなので問題はないのだが、ちょっと、不親切に思う。
7時にソンティオに分乗して出発。
車の中から、地名を見ると「パイ」名が見えたところより山の中へ入っていった。
上りがきつく、何台かのソンティオは、乗客が降りないと登れなかったが何とかランのスタート地点の村で合流できた。
ウオーキング、VTTはスタート地点が違うので彼らは又ソンティオで奥まで行くので別れた。
今日も、ランの後ろから自転車で一人スタートをした。
村の中は下りも在ったが、村を出たところから、いつも通りの激坂で、日本では、こんな坂は絶対に作らないだろうと思う。
下りで追い越した人や車椅子チームにも、上り坂で自転車を押している私を抜き去って行った。
下りが来ると、抜き去った人達に追いつき追い抜けるが、又次の山で追い越される始末で、もたもたと押していると、車椅子のチームの人から自転車の後を押されたりもした。
長い下りが続いたので、何とか車椅子チーム、松永さんも追い越して、筏下りの乗り場にあるエイドステーションに到着した。
この後は、川沿いの道路であまり急な坂もなさそうなので、少し長めの休憩を取って、再スタート。
ランの人達も、平地に近い川沿いの道なので、今まで追い越したことのない人達も、次々と追い抜いて気分良く走っていると、いきなり象の出現にびっくりした。

道が狭いので、象とすれ違う時は、思わず自転車を横に置いて、直ぐに動けるように用意をしたりしたが、象は結構慣れているのか、何事もなかったように歩いて行ったが、真横に来ると結構大きいので少し怖かった。
ウオーキングの人達も追い抜き、たびたび象に出会うと、こちらも慣れてきて、自転車ですれ違うことも平気になった。
ゴールは象キャンプだった。道理で多くの象に出会うはず。
今日のゴールはかなり早くでき余裕があったので、自転車で象キャンプの中を走りまわった。
全員ゴール後は、筏下りや象に乗る人とホテルに帰る人と別れた。
松永さんとホテルに帰る組のソンティオに乗ったがVTT のメンバーは全員ホテルに帰る組にいた。
途中の食堂で軽い昼食をとったが、ディディエールの結婚記念日が明日だといって、彼が食事代を出してくれた。
ホテル着後は、2人でナイトバザール、そしてマッサージで終えた。

・ 最終日なのでVTTチームと走る

11月22日

スタートは湖のほとり、Huay Tueng Tao と書いてあったが、パイの近くで、釣りをしている人や、野鳥観察の人が見られた。
ウオーキングはそこから又ソンティオで、ランは山の中へ、VTTは湖を一周してから山の中へ向かって走る。
湖の周回道路を走ったが、景色のよい所で写真を撮ったりして、サイクリング気分だったが、山に向かうと又きついタイ名物の坂で、プロライダーのピーターは乗っていたが、他のものは皆自転車を降りて押し始める。
歩き出すと、やはり最後尾になり、いつの間にか一人になったがあまり長い坂でもなく、下りに入り又次の山にかかると、ディディエールが待っていてくれて、一緒に走ってくれるが、これが結構きつく、待っているのでつい無理に頑張ってしまう。
果樹園の中の道を登っているとエイドステーションが在り、冷たいコーラを飲んで再スタート。
あえぎあえぎ登っていると、ディディエールが自転車につけたGPSを見て、後200m上れば下りだからと言ってくれるが、あまり信じられない。
少し下ったところに、滝があり、タオルを水につけて汗を拭き小休止を取る。
その後は又上りの連続、休み休み上っていると、又GPSを示して、今の高度は、1189mで頂上は1200mだからもう少しだというが、それからもなかなか峠にならない。
峠の手前で第2エイドステーションがあり、どうやら最後尾らしい。
峠も近いと頑張り、やっと下りになり、ディディエールの後を走るが、彼は下りも早くついていくのは、危険である。

途中でウオーキングの女性を追い越し、山の小学校にディディエールと手をつないで拍手のゴールが出来た。
松永さんは既にゴールをしていたので、2人してビールで乾杯をした。
ホテルに帰って、表彰式会場になるカントークディナーショウの会場へソンティオに分乗して向かった。
食事の後、表彰式が始まったが、フランス語なので、内容が良くわからないまま、木製の花瓶を皆がもらって終了。

過ぎてしまうと、苦しかったことより、楽しい思い出ばかりで、次回はもっと走れるだろうと思っている私です。

▼ レース結果、大会の写真はレイド・タイ公式サイトをご覧ください。

レイド・タイ公式サイト http://www.raidthai.org/
2006レイド・タイレース結果(エクセル形式)

溝 登

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