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サハラマラソン挑戦記
挑戦者: 宮前消防署宮崎出張所警防第1課 宍戸生司
レース: 第22回サハラマラソン
期間: 2007年3月23日〜4月2日

10年連続優勝したアハンセル・ラッセン選手(モロッコ・35歳)と宍戸選手(右)

サハラマラソン:レース前日

今年のサハラマラソンの全行程は、7日間(6ステージ)で221km。砂丘地帯もあれば、石礫の山越え、起伏の激しい土漠地帯もある。世界32ヶ国から757名の選手が参加し、3月25日〜31日までの日程で開催された。打倒ラッセン・・・誰がラッセンの10連覇を阻止するのか、注目の集まる大会でもあった。見つけたら一緒に記念撮影をしてやる♪
チャーター機のタラップを降りると、約1年ぶりのアフリカの大地に足を踏み入れた。赤茶色の空港施設とサハラの太陽が出迎えてくれたが、暑さはそれほど感じない。昨年は、とにかく完走だけを目指し、触れば火傷するような熱い魂でサハラにぶつかっていった。しかし、今年は昨年の失敗を糧に、熱い心を静かに燃やし、サハラの土漠を駆け抜けたい。私は、「まだまだ走れる!」との思いが強く、今年も灼熱の大地に戻って来てしまった。昨年の大会終了後、とにかく完走(完歩)はしたが、自分自身では決して納得のいくものではなかった。自分なりに1年間、走行訓練を継続し、体力錬成もしてきた。

サハラマラソン:レース初日

スタート30分前、スタートラインから離れた最後尾へ移動。上空にヘリコプターが旋回しだし、フランス語での10カウント・ダウンが始まる。「今年もサハラよろしく!」昨年出場した隅田さんからの伝言を叫び、「洋実(ひろみ)、利菜(りな)、月碧(るのあ)、月桜(なお)、父ちゃん頑張るじょーッ!」家族の名前を大声で叫びながら歩いてスタート。他の選手は、ゲートが開かれると、競走馬のように地平線に向かって走っていく。「おいおい、今日のゴールは30km先だが、最終ゴールは221kmですよッ。」自分に言い聞かせながら、ゆっくりとサハラの大地を走り始める。静かに心を燃やしているつもりだったが、自然に熱い涙が頬を伝っていた。また、今年も灼熱のサハラと勝負ができる。嬉しいあまり、鳥肌が立つほどだった。CP1(チェックポイント1)の途中で、モロッコの子供達が手造りのゲートを作り、選手を歓迎してくれている。世界共通で子供の笑顔には、心が癒された。

サハラマラソン:ゴールへ向かって

足裏の痛み、関節痛、筋肉痛もなく、快便・快食!ただ、去年と違うのは、夜中に砂嵐が来て、とても寒く感じること。レース前のパッキングは苦手で、スタートラインに着くまで毎朝ドタバタしていた。今日も最後方からのスタート。今西さん、佐藤くん、戸高さん、冨山さんと、私の5人でスタート・ゲートを潜る。昨日同様にAOIスタッフやベルベル人とハイ・タッチをしながら歩き出す。今日も走れる!ゆっくりと自分のペースで走り出す。小石の多い土漠地帯を走り抜け、丘を越えていく。スコットさんを追い抜き話しかけた。ここからは斜面が急勾配の登りで、写真を撮りながら談笑し、一緒に歩を進める。CP1で休んでいると、ジョンが声をかけてきた。先着して休憩が終ったらしく、次のCPへ。坂口くんもタバコを吸う私の横を追い越していった。CP2を目指し走っていると、峠越えが出てきた。私には、とても走って越えられる代物ではない。急勾配を一歩ずつ確実に登っていく。サハラマラソンは、コースが起伏に富み、砂丘や礫山があるので、私の脚力では走れない場所も多い。尾根伝いに進み後方を振り返ると、絶景!この景色を言葉で表現するのは難しい。長年に渡りサハラの自然と気候が造り出したもので、このような自然の景色を見られるから、サハラマラソンに毎回出場するリピーターが多いのだろうか。サハラの大地に自分が立っている姿がとても小さく感じられ、純粋に感動している自分がいた。私が立っている場所を目指し、選手が蟻の様に向ってくるのが小さく見えた。高低差のある起伏の激しい礫丘をこえると、AOIスタッフに「タバコを吸って大丈夫かい?」と声をかけられた。私は「この近くにレストランがあったと思うのだが、冷えたビールはないの?」と答えた。「タフ・ガイ、ここには気の効いた飲み物はないよ。ワルザザードまで我慢だなぁ!」ゲラゲラ笑いながら教えてくれた。CP2まで3時間30分で到着。休憩していると外国人選手が寝袋を私の横に置いて行った。何を勘違いしたのか、私が落としたものだと思ったらしい。寝袋をAOIスタッフの所まで持って行き事情を話した。夜中の寒さがキツイので、寝袋なしではいられない。無事に落とし主のもとに手渡ってくれればよいが。残り6km、いよいよサハラマラソンの本領発揮かぁ?大砂丘の上に岩肌剥き出しの急斜面があり、山を越えなければBPへは辿り着けない。砂丘を登りきり、岩にしがみつきながら越えていく。足を踏み外して転落したら、間違いなく死が訪れるだろう。ハーケンが岩に打ち込んであり、ガイドロープが渡してある。よくもまぁ〜、こんなコースを考えたものだ♪足場は砂丘になっており、砂地に足首までメリ込むが、ゆっくり歩いて行く。登りが終れば急勾配の下り、その先にある砂丘地帯を越えればBPがある。下りはガンガン飛ばしながら走り、前の選手を次々に追い越していく。途中で岩の間から綺麗な花が顔を出していて、タンポポに似た香りも漂っていた。砂丘地帯も走れるところは走り、BP手前でラスト・スパートし、6人を抜き去り全力疾走。「洋実、誕生日おめでとう♪」、今日は嫁サンの誕生日、異国の地で真っ青な空を見上げ、大絶叫して祝いながらストックを振り回してゴール。

サハラマラソン:レースを終えて

夜の帳が降り、サハラの夜空に星が輝きだした。途中のCPで脱水症状を指摘され、点滴7本打たれてゴールした坂口くん、お疲れ様。外国人選手が何人も坂口くんを心配して、「ダンシング・ボーイはどうした?」と、日本人テントを訪ねてきていたよ♪毎日メールを送信してくれる洋実に、返信メールをしにPC専用テントへ。これもサハラマラソンでの楽しみの1つになっている。今年は、昨年一緒に出場した隅田さん、たけチャン、西秋さん。友人の小野、今回出場するはずだったDakarさん、多くの人から応援メールが届き、とても力になり励まされました。ありがとうございます♪一人一日一回のメール送信しか出来ないので、日本に帰ってからお礼のメール送信をした。ゴール・ゲートから緑色のレイザービームが発射され、選手達を誘導している。まだ何人かの選手が、暗闇の中、ゴールを目指しレースを続けている。私はゴール前に行き、最後のランナーを待っていた。他の選手も心配しているようで、数十人の人だかりが自然にできていた。砂丘の中からヘッドライトの灯りが見え隠れしながら近づいてくる。20時36分に女性選手が拍手に包まれ、万感の思いを込めてのゴール。私は昨年の自分を見ているようで心が熱くなり、魂が揺さぶられて涙が自然にあふれ出していた。日本人テントに帰ると、私以外の日本人選手は、テントの中で寝袋に入りご就寝。何んだよぉー!仕方なくテントの隅で丸くなった。風が次第に強くなり、時間がたつに連れて砂嵐発生。テントがバタバタ揺れて身体にあたり、とても眠れる状態ではない。テント内に進入しようと試みるが、皆が中心に集まっているためスペースは見当たらない。砂嵐の中、心を決めてテントの外で寝袋に入り、うたた寝開始。夜中の1時半にベルベル人が登場し、テントを補修してくれ中へ入れた!・・・「いい仕事してますねぇ〜♪」トロピカルな笑顔でお礼を言うのを忘れない。やっとこさ、砂嵐の猛威から救われた。

このレースに参加するすべての人が、同じ距離を同じ条件で走り歩きするのは皆一緒。先にゴールすれば休めるが、それだけ肉体を酷使し順位を求め疲労は蓄積されていく。後にゴールすれば、長時間サハラの強い日差しと格闘しなければならず、体力は徐々に奪われていく。一人一人サハラマラソンに参加する目的は違えども、走り歩きした距離と自然環境は同じである。今大会ではイギリス人選手がレース中に永眠した。ご冥福をお祈りします。大満足で完走できたサハラマラソン、221kmの距離を踏んだ証は残してきた。これからも世界の国々を走り歩きするようなレースに参加して行きたい。希望という名のもとに走り歩きを続け、世界の砂漠を制覇して行くのもGood!かなぁ♪いつの日か、息子の月桜と一緒にサハラマラソンを完走するまでは、ネーチャー・マラソンは止められそうにない。

第22回サハラマラソンは、世界32ヶ国から757人が参加し、727人が完走した。

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