2002年(第17回)サハラマラソンレポート(4月7日〜13日)
第17回大会も、モロッコ出身のアハンサル兄弟が圧倒的な強さで勝利の冠を得ました。
(アハンサル・ラッセン30歳、アハンサル・モハメッド28歳)
彼らの速さは始めから終わりまで変わらず平均時速12キロという超人的な速さで優勝しました。現地からのレポートと日本から初参加、田中友佳子選手(28歳)と今回で3度目の挑戦となる片山義規選手(27歳)の砂と暑さと戦う奮闘ぶりをお伝えします。4月6日大会キャンプ地15時。日陰で摂氏35.5度(南モロッコ マハミド村)
全世界から610名のランナーが(内女子56名)五大陸にまたがる32カ国を代表し、第17回サハラマラソンに出場しました。
今年は南アメリカ大陸からは、グアテマラ、コロンビアそしてベネズエアが初登場です。
英国からは絶滅に瀕したサイを救うために30万ドルを募金運動中の “Save the Rhino”(サイを守る会)チームは見ものです。交代で一人が10キロにもなるサイのコスチュームを着て走ります。カクテルパーティ―などの社交イベントによってではなく、スポーツにチャレンジすることによって、彼らの活動認識を広めていきたいとのことです。
8人のイギリス人代表選手が出ている慈善団体「サイを守る会(仮訳)」(マルチナ・ナブラチロアが後援者)は1990年に自らもランナーである、ディビット・スターリン氏(ゼッケン538番)によって設立されました。このチャリティ―は野生のサイを守るための基金集めを目的にしています。今までにも、キリマンジャロでも300キロにわたるマラソンの経験もあります。
親子同士など家族でも10組が参加しました。
今年最年少の17歳の少女は5回目出場の父親と一緒に参加しました。最年長は70歳です。
4月7日 第1ステージ
OUED DRAA−OUED MIRD−26km
(レポート省略)
4月8日 第2ステージ
Oued Mird−S/E Bounou−36km
砂地、砂漠地帯
午前8時50分スタート(日陰で31度)
天気 暑く風が強い 時々強風(暴風)
チェックポイント1(12キロ): 先ず先頭を切ったのはゼッケン269番のヨルダンのアルアクア選手とモロッコのアハンサル兄弟。10分後にはゼッケン14番のアイット・アマ―選手、同じくモロッコの6番ディ―ル選手。その2分後にゼッケン270番のヨルダンのアル・スイッティ選手が続きました。
10時に女子は356番、コロンビアのマリア・イザベル選手が通過し、4分後に334番のルクセンブルグからのシモン・カイザー選手、8分後にイタリアのマリエラ・ビゲリ選手が通過しています。
ラッセン・アハンセル選手が弟のモハメッド選手を抜いてトップで終了しました。フランスのジレス・ディ―ル選手は本日41選手の誕生日に3位でゴール。
女子はコロンビアのマリア・イザベル・トゥルヒロ選手が、疲労が堪えたアメリカのタニヤ・パセフ選手に代わってトップで終了しました。
そして、シモン・カイザー選手、イタリアのマリエラ・ビゲリ選手とつづきました。
54歳のベテラン選手のイタリア、マルコ・オルモ選手が健闘し総合4位に輝いています。
4月9日 第3ステージ
31km 午後2時 摂氏33度(日陰)
時に風速40キロ以上にもなる強風がレースを選手たちにとって非常に難しいものとさせています。
16km地点で、スタッフがマハミド村に立ち寄って、ゼッケン209番のマイケル・バッシュ(フランス)の呼びかけによってフランス国内で集められた本や学用品などを教師達に渡しました。
ヨルダンのアルアクア選手が、4時間も砂丘で迷ってしまい202位まで落ちてしまったのは意外な展開となりました。
アハンサル兄弟が首位を占めて3位には、ジレス・ディ―ル選手がステージ・総合ともに三位を占めています。
女子ではマリア・イザベル選手が総合でも79位から37位に踊りあがりました。そして、シモン・カイザー、タニア・パセフと、マリエラ・ビゲリ選手がわずか17分後にゴールしました。
足と腰を痛める選手のためにメディカルチームが大活躍。
11人の選手が3日目にして棄権しました。
4月10日〜11日 第4ステージ
Lac Iriqui―Nord Jebel Amsailikh 71km 14時 摂氏28度(日陰)
一番難しい、困難なステージといわれています。
このステージは2グループに分かれて先ず522人のランナーが9時にスタート。選手たちは全ての面において団結することを強いられます。一人で進むことは超人的性質プラス力が必要です。自転車競技選手が用いるように強風のときに選手達は40人のグループを組んで進みます。先頭選手が壁となって中の選手を守ります。交代で皆が、先頭にたち苦しみを分かち合います。多くの出場者は2日間にわたってこのステージを渡る計画を立てています。レースコース途中、又はチェックポイント地点の、メディカルチームの近くで、同じように疲れている選手たちと励ましあっていました。砂嵐だけでなく、さらに向かい風が20キロにわたる砂丘の地形を作り変えました。巨大なビルに負けない高さ150メートルに及ぶものもあります。まるで南緯40度線の南大西洋の荒波を通過しようとしている航海士達のように。
アハンセル兄弟は断然リード。第二グループで出発したにもかかわらず。40キロ地点デ既に2時間半先に出発している先発グループの先頭を切ってしまいました。
丁度お昼頃、干上がったイリキ湖に大雨が降ってきました。あっという間に泥沼と化したコースを40人ほどの選手たちは走りつづけました。
64歳になるゼッケン44番ブラヒム・エルジョアル選手は、今まで一番大変なレースだとモロッコの報道カメラに語っていました。
最後に通過した日本人、田中友佳子選手に大きな拍手が送られました。砂でやられた目を見てもらうためにゴールイン後メディカルテントに直行しました。(田中選手のレポートも紹介します。)
ドクター・トロッターチームは1,200ケースを診断しました。
4月11日は2日間71キロのレースステージを24時間以内で走り終えた選手たちにとっては休息の日となりました。大会主催者が選手団に届けたE−Mailを読んで過ごしました。4月11日の木曜日には、選手たちは7000通ものメールを受け取りました。
4月12日 第5ステージ
イリキ湖〜アムサリッキ山 42km 午後3時 32度
小さい砂丘、石だらけの高原
5日間にわたる砂嵐の後、やっと天候は落ち着き、選手たちの士気も盛り上がりました。今日は、まるでお祭りが始まるようでした。今から選手たちが42キロのフルマラソンに挑戦するとは想像もつかない元気さです。そよ風に優しく包まれながら、選手たちはアカシアの木々の茂る高原に移動しました。今までの景色とはうって変わり見とれるほどの美しい風景です。
災難なことにモニーク・ムーレン(ルクセンブルグ)が岩地で転び頬を切ってしまいました。メディカルチームに手当てを受けた後、勇敢にも再び走りつづけました。
アハンセル兄弟は引続き皆の注目を集めました。信じられないほどの速さで3つのチェックポイントを首位で通過し、ランセンが3時間3分で弟のモハメッド選手を抜かしました。女子ではマリア・イザべラ・トゥルヒロ選手がこのステージでシモン・カイザー選手を抜かし、ステージ首位を得ました。
よほどのことがない限り、この全体順位は入れ替わることはないでしょう。
4月13日 第6ステージ(最終)
アムサリッキ山〜フムジキッド村 20km
砂地、石だらけの土地
午後1時 摂氏32度
午前9時スタート
明るい青空の下で565人のランナーは、フムジキッド村も人々に暖かく歓迎されてレースを終えました。
弟のモハメッド選手は宙返りをしながらゴールに到着し、ひざまずき大地に口づけを。オレンジを口にし、やっとエネルギーバーの食生活は終わったことを味わいました。アハンセル兄弟は始めから終わりまで、全てのステージで驚異的な力を見せつけました。 平均12キロ(それも6キログラムのバックパックを背負いながら)で圧倒的な勝利を得ました。
3位はジレス・ディ―ル(フランス)、4位は54歳のマルコ・オルマ選手(イタリア)です。女子はシモン・カイザー選手(ルクセンブルグ)が26時間36分で優勝。初参加のマリア・イザベル・トゥルヒロ(コロンビア)が2位です。タニア・パセフ選手(アメリカ)は3位となりました。
最年少の17歳・最年長の70歳の選手も完走しました。
勇敢な”Save the Rhino(サイを守る会)”チームはかなりの痛みをかかえた選手もいましたが皆一緒にゴールに到着しました。 |